「おこしかけ」とは?

「おこしかけ」の由来

JR日豊線豊前松江駅の東南方に細長い台地があり、そこは「おこしかけ」の名で呼ばれています。
往古、神功皇后(じんぐうこうごう)が豊前路巡幸の折に、その地にあった石に腰を下ろしてしばしの休息をとったので、それ以来「おこしかけ」の地名がついたのだといわれています。
眼下に豊前海を一望できる風光明媚な場所です。
神功皇后について語り伝えられるところによると、四世紀の終わり頃、熊襲(くまそ)との戦いのさなかに夫の仲哀天皇が亡くなり、皇后は応神天皇を身ごもったまま、武内宿禰(たけのうちのすくね)と計って朝鮮半島の新羅(しらぎ)へ出兵したといわれ、また帰国後は応神天皇即位までの六十九年間摂政をつとめたとされています。
神功皇后は宇佐神宮の祭神です。大きな古墳の上に建つ宇佐神宮は、三つの神殿が横に並んで本殿を形成していますが、神功皇后はその第三御殿に祀られています。

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