9月25日、『彼岸花とそばの花めぐり』の参加者を案内して千手観音を訪ねました。国道10号線を大分方面に向かって千束交差点で右に回り、県道34号線を上って横武町に入ると間もなく千手観音という緑色の標識があり、ここを右に入って岩岳川の橋を渡り信号を過ぎると、佐井川に出る。そこの新観音橋を渡ると広い境内があって周囲には彼岸花がいっぱい咲いている。その中にお堂が二つ建っていてその奥のお堂に千手観音立像が安置されている。限られた日にしか御開帳されないのですが、当日は区長さんの特別な計らいで拝観することができました。お堂の裏には高い岩盤があって、そこから50年~100年以上も前に降ったであろうといわれる湧き水が筋状となって流れ落ちています。その上には鬱蒼とした樹木が生い茂っているし、右側手前には、漸く色づき始めた銀杏が、根幹の周りに黄色の実を鹿の子斑に散らしていました。
 市教育委員会の案内板によると、この千手観音立像は明治39年4月に国指定重要文化財に指定されている。樟材1本造りの立像で平安時代後期でも早い時期に作られたもので、地方の作としては洗練された秀作であるとされています。確かに長い時を経てはいるが、その御尊顔は美しい。千手観音は、一切衆生の苦しみを救い、また請願成就を叶えてくれるといいます。昔、母乳の出が悪い母親がここの湧水でおかゆを炊いて食べたところよく出るようになったという伝説から別名『乳の観音』とも呼ばれてきました。今でこそお金さえあれば、ミルクでも滋養のある食品などいくらでも手に入る時代ですが、モノの不自由な時代には、母乳の出の少ない母親は、母乳が十分出てわが子が健やかに育つことを祈念してこの観音に日参したのではないかと思います。
 仏像というと私達は、単なる彫刻として見てしまいがちですが、仏像は観賞の対象ではなく、仏であると私達を戒められた亀井勝一郎先生の言葉を、今思い出しています。
 「仏像を語ることは、仏を語るという至難の業である。そこには仏の本願のみならず、これを創り、祀り、いのちを傾けて念じた個人の魂がこもっている筈だ。それに通じるためには、我々もまた祖先のごとく、伏して祈る以外にないであろう。この祈りの深まるにつれて、仏像は内奥に宿る固有の運命を、悲願を、我々に告げるのであろう。」(大和古寺風物詩より)
 当日は雨天との予報でしたが、終日雨もなく強い日照りもない絶好の行楽日和で、轟の棚田の『彼岸花』、枝川内の『そばの花』を満喫することができました。