私は、一昨年101歳になる母を亡くしました。私の幼い頃、体のあまり丈夫でなかった母は、何度か入退院したことを記憶しています。それでも、大戦中は千葉県に住んでいましたが、あまり食糧事情の良くないなかで、私達3人の兄妹をひもじい思いをさせずによく耐えて、育て上げてくれました。今秋、3回忌を済ませて、京都西本願寺に3人揃って納骨に行き、33年前に亡くなった父の位牌の横に納めてきました。(私達は4人兄弟ですが、弟は戦後九州で生まれて、父の亡くなった年に病没しています。)
 今年は、冬の訪れも早く既に初雪も降り、今朝出社の途中で見る豊前の山々は、青空の下で白く美しく輝いていました。
 雪を見て思い出すのは、紀野一義先生の母への思いを語った文章です。ご紹介します。


    雪
 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ   三好 達治

 雪が降り積むように音もなく沈んできて太郎の心を鎮め、太郎を眠らせるものは母の歌う子守唄、母の語りかける静かな物語である。わたしも幼い頃は、母の横に眠り、母のしっとりとした声に包まれて眠りに落ちた。母の声は母を超えた遠い『天』からきて、わたしの心の底にしんしんと降り積んだ。それは今もなおわたしを生かしめている。わたしは母の口を借りた仏の呼びかけにつつまれて眠り、その中で成長し、今日に至った。雪のしんしんと降る夜に思い出すのはいつも母ののびやかな、単調な、それでいて決して忘れることを得ないあの子守唄であった。少し大きくなってからは、耳もとで母に本を読んでもらって眠った。病のときは、毎夜のように母にせがんでその声をきいた。
 母はいつも温かい、やわらかな声で、歌うように読んでくれた。この世で一番やわらかな、美しい声であった。その声も雪の降りつむようにしんしんとわたしの心の奥底に沈んで、今もなおかすかな木魂(こだま)の鳴りわたるように私の脳裏によみがえる。
※紀野一義著「永遠への愛と信」より

 どうぞよいお年をお迎えください。
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