「おこしかけ」の河津桜は既に散って葉桜となり、窓越しに見える白木蓮はびっしりと純白の花をつけ、いまにもほろほろと散り始めるのではと思われます。連翹は黄色い花を咲かせ始めました。道の駅「おこしかけ」も開駅以来17回目の春を迎えています。4月24日に東九州自動車道は全線開通となりますが、最も大事な時期に残念ではありますが、私は3月末をもって駅長職を辞することとしました。8月には満80歳となり身体機能の低下で気力が続かず、家庭的事情もあってのことです。途中1回も休むことなく豊前通信を188回も継続できましたことは、会員の皆様の温かいご支援があってのことで、改めて感謝申し上げる次第です。この豊前通信は私の自分史でもあります。地域を歩きながら、生業に真摯に取り組んでおられる人々の姿を見て、この地域の他所にはない魅力は何なのかを模索しながら、私なりの地域のありようを考え豊前通信に書き、それを道の駅で実践させてもらったことが、今日の「おこしかけ」の姿につながったと自負しております。
また多くの出会いもありました。学生時代長崎を訪れたときの印象を書きましたところ、豊前出身で現在長崎市にお住まいのご夫婦がお墓参りで帰省された折にご来駅下さったこともあります。また、戦時中千葉市に住んでいたことを記したところ、先日まで千葉市に住んでおられたとのことで、わざわざお揃いで懐かしそうに訪ねて来られたご夫婦もおります。亡くなられたご主人が、毎号を楽しんでおられたとのことで北九州から、お礼に訪ねて来られた奥さまもおられます。みんな涙のでるような懐かしい思い出です。
 豊前市は高齢化が進んで過疎化が止まりません。棚田米の産地である轟地区は昭和30年代に200人を超えた人口が現在は36名で、小中高校生は一人もいません。でもお米農家の高齢者は頑張っておられ、次世代の60歳代の人達が農繁期には米づくりを手助けしておられます。お米づくりが継続されてこそ棚田の美しい光景は維持されるのです。樹の「いのち」が永遠であるように、地域が永遠に存続することを念じて、『豊前通信』―地域づくりへの挑戦が福岡ひびき賞=ソーシャルビジネス部門経営者賞で戴いた賞金の一部で「枝垂れ桜」10本を寄贈し、地域の人々の手で植樹してもらいました。「おこしかけふれあい桜」と命名して下さり、大事に育てて下さっています。今年もそろそろ開花するのではと楽しみにしています。
 最後に、会員の皆様・御家族様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、ご支援いただきましたことに重ねてお礼を申し上げ、豊前通信の〆とさせていただきます。有難うございました。